新潟県の魅力を発信します!

このブログは、①新潟県の魅力の紹介と②弊著へのご感想とご意見、ご質問の受付を目的としています。

新潟県の雪女伝説

雪女は、日本の妖怪の中でも大変有名な妖怪である。
妖怪に興味や関心がなくとも、その名を知らない者はいないであろうほどの有名な妖怪である。

雪女の一般的なイメージは、真っ白な着物を着た髪の長い女性で、吹雪の日などに現れる妖怪である。
雪女は室町時代から目撃されたとされ、日本各地で雪女の伝説が残されている。
雪の持つ神秘さや幻想さなどが相まってか、雪女の人気や知名度は現代においても高く、『ゲゲゲの鬼太郎』を始めとして数多くの作品に雪女が登場している。
妖怪を題材にした作品であれば、ほぼ必ず雪女が登場すると言っても過言ではない。

雪女の伝説は東北地方や新潟県といった雪の降る地域に多く残されている。
ただし、愛媛県和歌山県といった雪がほとんど降らない地域にも雪女の伝説は残されている。
雪女の伝説は日本全国広範囲に残されているのである。

雪女の目撃談は室町時代からあり、越後国新潟県)で雪女が見られたという記録もある。
室町時代連歌師として著名な宗祇(そうぎ)(1421年生~1502年没)も雪女を見たとされる。
越後国で宗祇が雪女を見た記録が、『宗祇諸国物語』という書物に以下のように記されている。

雪が消えかかった2月(現代では3~4月頃)の未明、宗祇が寝床から便所へ行こうと、戸を開けた。
ふと遠くを見ると、そこには竹藪の端に謎の女が立っていた。
背の高さは3メートルほどあり、肌は透き通るように白く、白い着物を着ていた。
顔の様子から見るに20歳未満だったが、真っ白な髪を長く垂らしているのが異様だった。
宗祇が「何者だろうか」と思い、その女に近づいていったところ、静かに菜園がある方へ向かい、しばらく後にその姿は消え去った。
夜が明けてから、宗祇が人にこれを話すと、「それは雪女だ」と伝えられたという。

これが宗祇の雪女の目撃談である。
3メートルの身長という大きさは、現代のイメージから離れているといえる。
また、真冬ではなく、現代の春頃にあたる時期に雪女が目撃されたというのも面白い。
なお、新潟県では、現代においても年によるが春頃まで雪が残っている地域がある。

余談ではあるが、宗祇が訪れた時代の越後国は、守護の上杉房定(うえすぎふささだ)(1431年生~1494年没)が統治をしていた。
上杉房定によって統治された越後国は、安定した領国経営であり、戦乱を避けるために、当時の先進地域である京の都から多くの文化人が訪れた。
宗祇もその文化人の一人である。
上杉房定は京の文化人を保護したため、越後国の文化が発展した。
もし、上杉房定による安定した越後統治がなければ、宗祇の記した雪女の目撃譚はなかったのかもしれない。

新潟県小千谷(おぢや)地方にも、雪女の伝説が残されている。
ある時、独り身の男のもとに、美しい女が訪ねてきて、自分を娶ってほしいと求婚をしてきた。
2人はやがて夫婦となったが、女は風呂に入るのを嫌がって、風呂に入ろうとしなかった。
男が嫌がる女を無理やり風呂に入れさせてみた。
しばらくしてから男が風呂を見てみると、風呂に女がおらず、ただ氷柱が風呂に浮いていた。

このように新潟県には、雪女の伝説が残されているが、新潟県の南魚沼(みなみうおぬま)市では、祭りの題材に雪女が使われている。
南魚沼市で毎年2月に開かれる雪美洞祭(せつびどうさい)というイベントに雪女が登場する。(2021年は新型コロナウイルスの感染禍により開催中止)
大きなかまくらが立ち並び、たいまつの火が煌々と燃える様子が幻想的なイベントである。
かまくらの中に入る体験ができる他、白装束の雪女と記念写真が撮影できる。

雪女は古くから伝えられ、フィクションへの登場やイベントの題材になるなど現代においても多くの人に愛される妖怪なのである。

 

 

 

新潟県の蛇の妖怪・濡女

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濡女(ぬれおんな)は、女性の顔と髪を持ち、下半身が蛇のような姿になっている半人半蛇の妖怪である。
海や川といった水辺に現れ、人を喰らうという。
濡女の黒髪が常に濡れていることから、濡女という名前が名付けられたとされている。

江戸時代から妖怪画として濡女の絵が多く残されている。
その絵の多くは、蛇の身体に女の顔と髪が付いた姿が描かれている。

現代のフィクションでは、『妖狐X僕SS』や『仁王』に濡女が登場する。

濡女は、島根県などに伝説が残り、新潟県越後国)においても江戸時代に濡女が現れたとされている。
昭和の民俗学者の藤沢衛彦氏の著書で、越後国に現れた濡女の事例が紹介されている。
以下、その事例である。

江戸時代の文久2(1819)年に、越後国会津(現・福島県)の境のとある川岸に柳が立ち並んでいた。
柳の枝でできる柳行李を作ろうと、若者たちがその木材を得ようと、舟を漕いだ。
しかし、舟の1つは川に流されてしまい、川下の三角州にまで流されてしまった。
そこで、若者が見たのは、川で髪を洗う女だった。
そして、その女をよく見ると、下半身が大蛇になっていた。
若者たちは悲鳴を上げて、舟を必死に漕いで、他の仲間の舟と合流した。

濡女を見た若者たちから事情を聞いた仲間は、話の真偽を確かめるべく川下に舟を漕ぎだした。
川下に行ってはいけないという制止をふりきり、川下へ向かっていった。
濡女を見た若者たちは、川の上流に舟を漕いで少しでも濡女から逃げようとした。
そして、逃げている途中で後方から濡女に襲われた若者たちの悲鳴が聞こえてきた。
濡女の尻尾は300メートル以上あるとされ、濡女に近づいたら最期、濡女に殺されてしまう。

これが越後国に現れた濡女の話である。

島根県に残された伝説では、濡女と共に牛鬼が現れる。
海岸で赤ん坊を抱いた濡女が現れ、濡女にせがまれて赤ん坊を抱いてみると、赤ん坊が突然重くなり、抱いた人はその重さで動けなくなる。
そこに牛鬼が現れて、人を襲うといった伝説が残されている。

濡女ではないが、和歌山県には蛇となった清姫の伝説が残されている。
男にだまされた清姫という娘が、大蛇となり、男をとぐろで巻いて絞め殺したというものである。

このように、日本各地には女性と蛇が一体、あるいは化けた話が伝わっている。
何故、蛇と女性が組み合わさる伝説があるのかは定かではない。
だが、神話のヤマタノオロチのように、蛇は古来より人々に恐れられていた存在であった。
その独特の姿、くねくねとした動きなどが人々の恐怖心を掻き立てたのだろう。
人々の蛇への恐怖が、濡女の逸話を生んだのであろう。

 

ブログタイトル変更のお知らせ

これまでのブログタイトル『新潟の名産品を紹介します!』 から新潟県の魅力を発信します!』 に変更いたしました。

変更理由は、これまでのブログタイトルと内容が乖離し始めたからです。

数年前のブログ内容は新潟県の名産品を主軸にしておりました。

しかし、今年からは新潟県の妖怪を主軸にしたブログ内容となりました。

 

これでは、「新潟の名産品を紹介」というタイトルとその発信内容が大きく異なってしまいます。

「新潟の名産品を紹介」という看板を掲げているにも関わらず、名産品の紹介をしないというのは、明確に良くないことであります。

 

そこで、名産品や新潟県の妖怪を一括りに「新潟県の魅力」とします。

そうすることによって、名産品だけに限らない新潟県の事柄全般を発信していくブログにしていくことに決めました。

 

新潟県の名産品だけの発信を期待されていた読者様には申し訳なく思います。

不定期かつ投稿頻度の少ないブログではありますが、これからも新潟県の魅力が県内外に広く伝わるように発信を励んでまいります。

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