新潟県の魅力を発信します!

このブログは、①新潟県の魅力の紹介と②弊著へのご感想とご意見、ご質問の受付を目的としています。

新潟県五泉市慈光寺の天狗

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天狗と言えば、全国的にも大変有名な妖怪である。
赤い顔と赤くて高い鼻を持ち、山伏の恰好で不思議な超能力を持った妖怪として一般的に知られている。
山の妖怪として古くから知られ、山で起こる不可解な現象はたいてい天狗の仕業とされた。
山の中で小石や砂が突然降ってくる「天狗礫(つぶて)」や山の中で突然大きな笑い声が聞こえてくる「天狗笑い」などが天狗の仕業とされた。
源義経(1159年~1189年没)に術を教えたとされる京都の鞍馬山の天狗が全国的にも有名であるが、新潟県では五泉市(滝谷)慈光寺(じこうじ)の天狗が有名である。慈光寺は曹洞宗の寺院である。
創建は不詳だが、古くから山岳宗教の拠点の一つであった。
天狗は山岳宗教の修験道とも結びつきが強く、慈光寺にも天狗の伝説が残されている。かつて慈光寺には慈戒和尚という天狗が住んでいたという。
慈光寺を開山した傑堂能勝(けつどうのうしょう)(1355年~1427年没)によって慈戒和尚は超人的な力を得た。
ちなみに、傑堂能勝は南北朝時代の有名な武将・楠木正成(くすのきまさしげ)(生年不明、1336年没)の孫とされ、新潟県では村上市に同じく曹洞宗の寺院の耕雲寺を開いている。
慈戒和尚は超能力を活かして、巨木を伐り出したり、巨石を運んだりして、慈光寺の諸堂を建立し、お寺を助けたとされる。
また、働き者のお寺の小僧さんを抱えて飛び、ご褒美に京都の祇園祭を見せて楽しませたともいわれている。現在の慈光寺にも天狗にゆかりのある天狗堂(慈戒堂)が残されている。
また、慈光寺には「姥石(うばいし)」という大きな石も残されている。
この巨石は、女人禁制の山に登ろうとして石になったお話もあるが、天狗が山から巨石を落として姥と子供が下敷きになったという話も伝わっている。
その他にも天狗が昼寝をしていたとされる天狗杉も慈光寺にある。このように慈光寺は、天狗の逸話が残り、天狗にゆかりのある代物が残されている場所である。

【滝谷 慈光寺 公式ホームページ】
http://www.jikoji.jp/index.html 

新潟県の怪火

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新潟県には、狐火だけでなく、様々な怪火の話が残されている。
この新潟県に残されている怪火を紹介していく。

日本では古くから怪火と呼ばれる火の不思議な現象が各地で記録されている。
墓場や古戦場など火が発生しない場で、発生する火の玉のことを怪火という。
海外の多くの国でも怪火のような謎の火の記録が残されている。
動物の骨に残るリン(燐)が自然発火したものなど多くの説があるが、怪火の正体は不明である。
怪火は様々な名前で日本全国に目撃談や逸話が残されている。
前章の「狐火」はもとより、「不知火(しらぬい)」、「牛鬼」なども怪火の一種である。
同様にこれから紹介していく新潟県の火は、怪火の一種である。

【陰火(いんか)
陰火は、長岡市に伝わる怪火。
戦国時代に長岡の高津谷の地に山城の高津谷城があった。
あるとき、上杉景勝(うえすぎかげかつ)(1556年生~1623年没)の軍勢が高津谷城に攻め寄せてきた。
そのとき城周辺の村の老婆が上杉軍に城内への用水の道筋を密告。
上杉軍は、土の中にあった樋を探し出し、それを切って城内に水が入らないようにした。
水を飲めない城の兵士たちは、衰弱していった。
そして、そのしばらく後に上杉軍が城を総攻撃して、落城した。
城の兵士たちの怨念なのか、城の近くに城主の宝物を埋めた榎の下には、毎晩陰火が燃え上がるという。
なお、現在、長岡の高津谷は地図に高津谷広原と記されている。

ちなみに、江戸時代の書物『越後名寄』などにも「陰火」の名が記されているが、こちらは怪火ではなく、天然ガスのことを指している。
新潟県は石油や天然ガスにも恵まれ、長岡の南長岡ガス田は日本国内最大級のガス田でもある。

【煤け提灯(すすけちょうちん)】
新潟県刈羽郡に伝わる怪火。
新潟県民俗学会の発行する雑誌『高志路(こしじ)』に記録されている。
飴が降る夜にふわふわと火の玉が飛び回ったという。
死体を清める湯灌の捨て場から飛び出したとされる。
火の玉が煤けた提灯のような明るさだったため、煤け提灯と呼ばれるようになったそう。

【権五郎火(ごんごろうび)】
新潟県三条市に伝わる怪火。
昔、権五郎という博徒(博打打ち)がいた。
あるとき、旅の博打打ちとサイコロ博打を行い、権五郎が大勝した。
気分よく権五郎が家に帰っていると、その途中の夜道で恨みに思った相手の博打打ちに殺されてしまった。
本成寺村(ほんじょうじむら)(現在の三条市)で、権五郎の怨念が怪火になり、それが目撃されたという。
権五郎火はその名の通り、殺された権五郎の名から取られた怪火である。
『越後三條南郷談』によると、付近の村では、権五郎火は雨の前兆とされて、権五郎火を見た農民は急いで稲木をしまい込んだという。

【蓑火(みのび)】
新潟県秋田県滋賀県などに伝わる怪火。
地域によっては、「蓑虫(みのむし)」、「蓑虫の火(みのむしのひ)」、「蓑虫火(みのむしび)」とも呼ばれている。
信濃川流域で多く見られるとされている。
雨の日に、蓑や傘など身に着けているものにまとわりつく怪火である。
その火を払おうとすると、余計に燃えてしまい、全身を火が包み込んでしまう。
火にまとわりつかれている人物しかその火を見ることができないことが多い。
新潟県中蒲原郡(なかかんばらぐん)では、秋に目撃されることが多いとされている。
蓑火の正体はイタチの仕業とも考えられている。

このように各地に怪火の逸話が残されている。
科学的には、リンが燃えたために発生した怪火しただけと結論づけられるかもしれない。
だが、全国的に多くの怪火が目撃されるというのは、人々の火に対する恐れも根底にあったのかもしれない。
古事記』においても、イザナミが火の神であるカグツチを産んだところ、やけどをしてしまい、それが原因でイザナミは亡くなったとされている。
神話においてそのような逸話があるということからも、昔の人々が火に対して恐れを抱いていたことが伺える。
火は文明を発展させてきたが、火災などの災いをもたらすものとして畏敬の念を持たれてきたのであろう。
そうした昔の人々の心理が、怪火として各地に残されているのかもしれない。

 

 

新潟県阿賀町の怪異譚・狐火と狐の嫁入り

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新潟県の東に位置し、福島県と隣接する阿賀町(あがまち)には、狐火(きつねび)と狐の嫁入りの怪異譚が残されている。
阿賀町には麒麟山(きりんざん)という険しい山があり、麒麟山は世界で一番多く狐火が発生するとされている。
(余談だが、麒麟山の名前をとった日本酒『麒麟山』を阿賀町の酒造メーカー・麒麟山酒造が販売している)

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また、阿賀町では狐の嫁入り行列の言い伝えも残されていて、この伝承をもとにしたイベントも毎年開催されている

狐火は、怪火の一種で、十個から数百個の火の玉が行列をなして夜に現れる。
火の気のないところに狐火が現れ、空中を浮遊し、火が消えたり付いたり、数が増えたりするとされている。
狐火のなす行列は、一里(約4キロメートル)になるともいわれている。
狐火の色は、赤色であることが多いとされている。
狐火にいくら近づこうとしても、その途中で火が消えてしまうとされている。
春から夏にかけて狐火が出没し、沖縄県を除く、日本全国で狐火が目撃された。

なぜ「狐」火と呼ばれているのかは諸説あるが、文字通りキツネと関係する説が多い。
キツネの吐息が光っているという説、キツネが尾を打ち合わせて火を起こしているという説などがある。

狐火の正体は全く不明である。
リン(燐)の自然発火、石油の発火、光の屈折など様々な説があるが、現代においても狐火の正体は解明されていない。
(リンの自然発火から狐火は燐火とも呼ばれている)

こうした狐火の行列が、狐の嫁入りとも呼ばれている。
一里にも及ぶ狐火の行列が、嫁入り行列の提灯行列に似ていることから、狐の嫁入りと呼ばれるようになったとされる(諸説あり)。
狐の嫁入りは、晴れなのに雨が降る天気雨のことも指すが、ここでは天気雨ではなく、狐火の行列と不思議な嫁入り行列を解説していく。

狐の嫁入りは、狐火の列であり、日本各地で目撃談がある。
江戸時代においても新潟県では、『越後名寄』という書物で狐火の列が記録されている。
目撃談は、比較的近年にも残されており、昭和期の農村で狐火の列を目撃したという目撃談も多い。
かくいう筆者の母方の祖父も新潟県の農村で狐火を見たという。

新潟県阿賀町では、麒麟山で狐火とその列が世界で一番多く目撃された。
そして、昔の嫁入り行列は、夜に行われたため、提灯を手に持って行列をなした。
その様子と狐火の行列が似ているように見えたことから、狐の嫁入り行列と呼ばれるようになったとされる。

そのような話が阿賀町では古くから伝えられ、町おこしとして狐の嫁入りイベントが開催されている。
1989(平成元)年に新潟県JR東日本が企画した「デスティネーションキャンペーン」が元となり、翌年の1990(平成2)年から阿賀町で第一回の狐の嫁入り行列」が開催された。
行列の参加者、観光客、街の人々がキツネの化粧をして、花婿と花嫁の結婚行列を作り、街道を歩くというイベントである。
1990年から毎年5月3日に開催され、5万人ほど観光客が訪れる一大人気イベントとなっている。

「きつねの嫁入り2014  新潟県 阿賀町(旧 津川町)」(狐の嫁入り行列イベントの様子)
https://www.youtube.com/watch?v=acjlx8HW21E 

阿賀町の狐の嫁入り行列では、狐火の列ではなく、人がキツネに扮した嫁入り行列だが、狐が人に化けたり、狐が人のように嫁入り行列を作ったりした言い伝えが日本の各地で古くから残されている。
江戸時代の有名な絵師・葛飾北斎の作品にも、狐が人間のように和装をして二足歩行を行い、嫁入り行列を行う絵が残されている。
日本各地で狐が人のように嫁入り行列を作ったという伝承があり、人間がそれを見てしまってはいけないともいう。
そうした狐同士の結婚だけでなく、狐が人に化けて嫁ぐという話もある。
狐が男の妻に化けて、夫婦生活を営んだ話も残されている。

さきの葛飾北斎の絵はもとより、古くから狐の嫁入り行列は様々な作品の題材にもなっている。
江戸時代には、狐の嫁入り行列を時系列順に描いた橘岷江(たちばなみんこう)作の「狐廼嫁以李(きつねのよめいり)」という絵も残されている。
近年においては、黒澤明監督作の『夢』(1990年公開)という映画作品で狐の嫁入り行列が登場する。
その様子は、神秘的でもあり、不気味でもあり、怖さと神々しさが共存するような名シーンである。

Akira Kurosawa Dreams 1990」(『夢』の狐の嫁入り行列シーン)
https://www.youtube.com/watch?v=ZLDjQr8OrYQ 

このように新潟県だけではなく、日本各地に狐火と狐の嫁入り行列の伝承が残っている。
キツネは古来よりネズミを食べる益獣として農村ではありがたられた動物である。
そして、産業時代の都市化が進むまでは、日本のほとんどは農村であった。
つまりは、農村に住む昔の人々と狐は密接な関係にあり、それが多くの狐に関する怪異譚や稲荷信仰を生み出したのだろう。

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