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「翡翠」の漢字の由来

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ヒスイを漢字で書くと、「翡翠」という字になります。

この「翡」と「翠」は、それぞれカワセミという鳥のオスとメスを表しています。

翡翠」のようにオスとメスを表す漢字が組み合わさった言葉は、他にも「麒麟」や「鳳凰」があります。

 

「翡」という漢字は、音読みで「ひ」と読み、中国語ではfeiと発音されます。

「鮮やかな・美しい」という意味の非や斐と「模様」や「羽」という意味の羽を足して構成されています。

こちらの「翡」という字は人名用漢字ではありませんので、名前に「翡」という字を使うことはできません。

ですので、日本で翡翠ちゃんや翡翠くんが存在しないのはそのためです。

 

「翠」という漢字は、音読みで「すい」と読み、訓読みで「みどり」とも読まれます。

中国語ではcuiと発音されます。

「模様」や「羽」という意味の羽と「小さくまとめる」という意味の卒で構成されています。

こちらの「翠」という字は人名用漢字です。

ですので、翡と違って、名前に「翠」という漢字を使うことができます。

翠と書いてみどりと読むため、主に女の子の名前に使って、みどりちゃんと読まれます。

なお、男の子のみどりくんはほとんどいません。

 

さて、この「翡翠」という漢字の発祥は、日本なのか、それとも中国なのか気になる方もいるかもしれません。

実は、「翡翠」の漢字は中国が発祥です。

中国でカワセミ翡翠と呼ばれ、それが日本にも輸入されて、室町時代頃からカワセミ翡翠と呼ぶようになりました。

 

宝石の翡翠が「翡翠」と呼ばれるようになったのは、18世紀にミャンマーで硬玉が発見されてからです。

それまでは翡翠ネフライト含む)は、日本では「玉(たま)」、中国では「玉(ぎょく)」と呼ばれていました。

しかし、それ以前にも「翡翠」という言葉自体は存在していました。

 

中国では古代から「翡翠」の言葉が存在していました。

ただし、宝石ではなく鳥の「翡翠」です。

中国に現存する最も古い地誌とされる『華陽国志(かようこくし)』(東晋・355年成立)に翡翠の文字が記されています。

 

黄金、虎魄(琥珀)、翡翠、孔雀、犀、象

 

というようにその地の産物としてカワセミの羽が「翡翠」として記されています。

当時の古代中国では、カワセミの羽は希少でとても高価な物でした。

中国四大美人に数えられ、前漢の時代の末期、匈奴という国に嫁がされた悲劇の女性、王昭君(おう しょうくん)(生没年不明)がカワセミの羽を持っていたと言われています。

 

日本では、平安時代に書かれた『源氏物語』に「翡翠」の文字が記されています。

源氏物語』54帖のうちの第46帖の「椎本(しいがもと)」にそれが記されています。

ただし、ここで記されている「翡翠」は宝石でもなく、鳥のことでもありません。

以下、『源氏物語』「椎本」の該当箇所です。

 

髪、さはらかなるほどに落ちたるなるべし、末すこし細りて、色なりとかいふめる、翡翠だちていとをかしげに、糸をよりかけたるやうなり。

 

現代語訳した文が以下の文です。

 

髪は、さっぱりした程に抜け落ちているのであろう、末が少し細くなって、見事な色とでも言うのか、翡翠のようなとても美しそうに、より糸を垂らしたようである。

 

翡翠だつ」という言葉を宝石でも鳥でもなく、美しさやつややかさを表す言葉として使われていることがわかります。

これは「みどりなす黒髪」といったように、「みどりなす」とほぼ同じ意味として使われているわけです。

 

翡翠だつ」は現在では全く使われない言葉ではありますが、古来から「翡翠」は美しさを象徴する言葉として日本人に使われてきたことがうかがえます。

また、古代の中国人が青緑色の美しい鳥であるカワセミに「翡翠」と名付けたことからも、「翡翠」は東洋人にとって美しいイメージを持たせる言葉なのでしょう。

 

参考サイト

翡翠の名の由来について 鉱物たちの庭

 

翡翠ものしり事典 新潟県の特産品

翡翠ものしり事典 新潟県の特産品

 

 

奴奈川姫(ぬながわひめ)と翡翠(ヒスイ)の伝説

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日本の翡翠の歴史は『古事記』の時代にまで遡ります。

古事記』とは奈良時代に作られた日本最古の歴史書で、編纂者は太安万侶(おおの やすまろ)(生年不詳~712年没)です。

神話の時代から推古天皇(554~628年)(聖徳太子摂政を務めた天皇)までの時代が収録されています。

 

翡翠はその神話の時代から登場します。

翡翠は神話の時代から登場するとても古い物で、日本と翡翠は長い付き合いでした。

しかし、翡翠奈良時代頃から歴史の表舞台からパッタリと突然消えます。

その後、翡翠が日本で歴史の表舞台に登場するのは、なんと1000年以上経った昭和時代です。

1000年以上も日本の人々に忘れられていた存在でした。

ただし、昭和以前の明治時代から、海外の翡翠が日本に輸入されていたので、翡翠の存在自体は当時の日本人に知られていました。

また、江戸時代には、各地の縄文遺跡から発見された翡翠の装飾品の存在が知られていたようです。

しかし、昭和時代初期になるまで、翡翠が日本の物であるというイメージが全くありませんでした。

何故、翡翠が日本の物であるという認識が1000年以上もなくなっていたのか。

それは現在もはっきりとした理由は分かっていません。

 

古代、現在の皇室にも繋がる大和朝廷が君臨するはるか昔から翡翠は存在していました。

その当時の日本には、現在の北陸地方一帯を支配していた「越の国(こしのくに)」(高志国とも)が存在していました。

越(こし)は新潟県福井県旧国名である越後・越前の元になったり、コシヒカリ米の「コシ」の由来でもあったりします。

 

その越の国を統治していたのが、奴奈川姫(ぬながわひめ)(沼河比売)という女性でした。

その当時の越の国は翡翠を産出していたとされます。

翡翠は当時の豪族たちの権威の象徴になっていたとされ、翡翠は越の国にとって重要な資源になっていました。

なお、翡翠は現在においてもミャンマーの重要な輸出資源となっていますので、資源としての価値ははるか昔から変わっていません。

 

その翡翠に目をつけたのが出雲の国(いずものくに)(現在の島根県一帯)を支配していた大国主(おおくにぬし)(出雲大社の祭神)です。

大国主は奴奈川姫を妻にしようと思い、越の国に出かけました。

そこで大国主は、奴奈川姫の家の前で求婚の歌を歌ってプロポーズをしました。

奴奈川姫は拒否するも、大国主の熱心な求婚に負けて、二人は結婚しました。

結婚後、奴奈川姫は大国主の国である出雲の国に移り住みました。

そこで二人の間に子供ができました。

その子供が諏訪大社(すわたいしゃ)(長野県諏訪市)の祭神で知られる建御名方(たけみなかた)です。

子供が生まれて二人は幸せな夫婦生活だったかと言うと、そうではなく、奴奈川姫には悲劇的な最期が待っていました。

 

大国主の目的は、奴奈川姫と結婚することではなく、越の国の翡翠を手に入れることが目的でした。

大国主は、翡翠の産地や加工技術などの翡翠の機密情報を奴奈川姫から聞き出そうとしました。

しかし、奴奈川姫はこれを拒否。

夫婦生活が上手くいかなくなった奴奈川姫は出雲の国を脱出して、故郷の越の国を目指しました。

しかし、大国主は追っ手を差し向けて、奴奈川姫を追いかけました。

大国主の軍勢に追いつめられた奴奈川姫は自ら死を選びました。

奴奈川姫の伝説は、奴奈川姫の自殺によって幕を閉じました。

 

その後、「国譲り」の伝説で有名なように、出雲の国は大和朝廷に国を譲りました。

大和朝廷から派遣されてきた武神・建御雷(たけみかづち)の前に大主国が屈服しました。

その国譲りの前に、前述の建御名方(たけみなかた)と建御雷が力比べをして争ったことが相撲の起源や由来とされています。

 

一方、越の国のその後は、第8代天皇孝元天皇(こうげんてんのう)の時代に大和朝廷に平定されたとされています。

大和朝廷の下では、「越国」として地方行政区分の1つとなり、現在の福井県から山形県の一部地域に相当する地域となりました。

その後、律令制への移行により、越後国越中国加賀国能登国越前国に分割されました。

それらが現在の新潟県富山県・石川県・福井県に繋がっていきました。

 

さて、悲劇的な最期を遂げた奴奈川姫ですが、故郷・糸魚川の地では今も市民に愛されています。

奴奈川姫は、新潟県糸魚川市天津神社(あまつじんじゃ)に祭神として祀られています。

また、JR糸魚川駅前には、奴奈川姫の銅像があり(本章最初の写真参照)、糸魚川市の町おこしの題材にもなっています。

糸魚川ジオパークのマスコットキャラにもなっています。

 

宗教や文化だけでなく、地理にも奴奈川姫は影響を与えています。

糸魚川市から長野県北部に流れる姫川は、奴奈川「姫」から取ったとも言われています。

 

悲劇的な最期を遂げた奴奈川姫ですが、こうして現代の糸魚川市民に愛されているのは奴奈川姫にとって救いであるはずです。

 

翡翠ものしり事典 新潟県の特産品

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