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おにぎりと三角ちまき おにぎりの歴史やけんさ焼き

 

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おにぎりと三角ちまきには共通している点があります。

 

①米を使った食べ物

②形が三角形

③物を巻いて食べる(海苔、笹の葉)

 

この共通点から、おにぎりと三角ちまきに関係性があると考える人もいるかもしれません。

しかし、一般社団法人おにぎり協会によると。

三角ちまきとおにぎりには直接的な関係性はないとのことです。

両者の関係を結びつける資料はありません。

よって、おにぎりと三角ちまきには関係性がありません。

 

しかし、三角ちまきの元となった「ちまき」とおにぎりの歴史はとても古いです。

「ちまき」の詳しい歴史については、後述します。

おにぎりは、弥生時代から存在しました。

また、おにぎりは上杉家とも関係がありました。

 

この章では、おにぎりの簡単な歴史と上杉家との関係について解説し、次の章で「ちまき」の歴史について解説していきます。

 

まず、日本に稲作が伝わったのは、紀元前6000年頃の縄文時代です。

九州から東北までの日本全国に長い時間をかけて稲作が広まっていきました。

最古のおにぎりは、紀元1000年頃の弥生時代と言われています。

1987(昭和62)年、石川県鹿島郡(現・中能登町(なかのとまち)杉谷チャノバタケ遺跡から米粒の塊が出土しました。

その後の研究で蒸した後に焼いたことが分かりました。

米を炊いて握ったものではないため、現在のおにぎりというよりも、三角ちまきに近いものでした。

 

また、2009年には、横浜市古墳時代の遺跡から、弁当箱に入った炭化した米粒の塊が出土しました。

もしかすると、今後将来の研究によって、紀元1000年よりも古いおにぎりが発見されるかもしれません。

 

現在のおにぎりの原型とされているのは、平安時代の屯食(とんじき)です。

屯食は、もち米を蒸したものを卵形に握って作られた食べ物です。

貴族に仕えた下働きの人間に振舞われたと言われています。

 

鎌倉時代から武士たちの携帯食としておにぎりが食べられるようになりました。

承久の乱で鎌倉の武士たちに梅干し入りのおにぎりが配られたと言われています。

 

戦国時代においてもおにぎりは武士たちに食されました。

それは越後においても同様でした。

 

上杉謙信には養子の上杉景虎(うえすぎかげとら)(1554~79年)がいました。

謙信没後、上杉家の家督をめぐって養子同士の争いが起こりました(御館の乱(おたてのらん)、1578~80年)。

家督争いに敗れた景虎は、鮫ヶ尾城(現・新潟県妙高市)で自害しました。

 

2008(平成20)年、その鮫ヶ尾城跡で炭化した米粒の塊が出土しました。

炭素14」という年代測定法により、1579年の落城した時のものと測定されました。

つまり、景虎がおにぎりを食べたかどうかは不明ですが、籠城していた武士たちがおにぎりを食べていたことが分かります。

 

以上のことから上杉家では、おにぎりが食べられていたと推測できます。

そして、現在も食べられている郷土食のおにぎりと上杉謙信が関係していたとされる謂れがあります。

その郷土食は、「けんさ焼き」というものです。

 

けんさ焼きとは、焼きおにぎりに酷似した食べ物です。

おにぎりを焼いて、その上に味噌や砂糖、おろし生姜を混ぜたものを塗った食べ物です。

 

戦の際、上杉謙信がおにぎりに剣を刺して焼いて食べたと言われています。

「剣(けん)の先」におにぎりを刺して「焼いた」ことから、けんさ焼きと言われるようになりました。

 

資料が全く残されていないため、はっきりとしたことは分かっていません。

しかし、謙信は金山経営と貿易で日本で一二を争うほどお金を持っていた大名です。

柏崎港(現・新潟県柏崎市)と直江津港(現・新潟県上越市)の交易で一国の経済に匹敵するほどの儲けを得ていました。

この二港の交易で当時高価だった砂糖を手に入れていた可能性が十分あります。

よって、裏付ける資料はないものの、けんさ焼きの謂れには信憑性があります。

 

おにぎりの今後の発見や研究によって、上杉謙信がおにぎりやけんさ焼きを食べたことがはっきりと分かるかもしれません。

また、おにぎりや三角ちまきを直接結び付ける資料が見つかるかもしれません。

おにぎりの今後の発見や研究に期待します。

 

 

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

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