笹団子は明治頃から昭和時代まで新潟県の各家庭で作られていました。
家庭で笹団子が作られなくなったのは昭和の第二次世界大戦後からです。
家庭で作る機会が減ってから、笹団子の新潟県のお土産品になっていきました。
何故、笹団子は家庭で作られなくなったのでしょうか。
その理由の1つを考察します。
笹団子が家庭で作られなくなった説の1つに産業構造の変化説が挙げられます。
総務省の「労働力調査 長期時系列データ」の「第10回改定日本標準産業分類別就業者数」によると。
http://www.stat.go.jp/data/roudou/longtime/03roudou.htm
1953(昭和28)年の農林業の就業者は約1400万人。
つまり、労働人口の約3分の1、3人に1人が農林業に従事していました。
笹団子が全国に広まるきっかけになった新潟国体のあった年、1964(昭和39)年になると。
農林業の就業者は約1000万人にまで減りました。
労働人口の約5分の1近くとなり、農林業に従事する労働者はおよそ5人に1人にまで減りました。
ちなみに現在の数字は。(2016(平成28)年)
農林業の就業者は約200万人。
笹団子の材料である笹の葉やスゲなどの草のヒモは山で採れます。
笹団子が作られていた頃は、多くの家庭が農家であり、農作業の傍らに山で笹団子の材料を採りに行っていました。
それが上記のように、農林業就業者は年々減り続けました。
農林業から製造業などの産業へ人が集まるようになり、山へ行く機会がなくなりました。
当然、笹団子の材料である笹の葉や草のヒモを手に取る機会が減りました。
材料を手に入れる機会が減った結果、材料がなければ作れないため、笹団子を各家庭で作られなくなりました。
よって農林業から他の産業へ人が移った産業構造の変化が、
家庭で笹団子が作られなくった理由の1つではないかと推測します。