新潟の名産品を紹介します!

このブログは、①新潟県の名産品の紹介と②弊著へのご感想とご意見、ご質問の受付を目的としています。

『三角ちまきものしり事典』読者様のご感想一覧

弊著『三角ちまきものしり事典』の読者様から頂いたご感想を紹介していきます。

 
電子書籍だけでなく、紙の本の読者様の感想も掲載しています。

 

東京の葛飾区出身だが、「ちまき」と言えば中華ちまきなので、新潟では三角ちまきが食べられていることを初めて知った。

                          2017年8月13日【40代 男性】

 

 

子供の頃は、三角ちまきを家の中で吊るしていた。吊るされた三角ちまきを見て食べるのを楽しみに待っていた。

                          2017年7月19日【50代 男性】

 

 

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

 

 

Tumblrで弊著のランディングページを作りました。

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TumblrとはホームページやSNSを組み合わせたようなSNSです。

 

そのTumblrを使って、弊著の紹介ページを作りました。

弊著のアピールポイント、実績、お問い合わせ窓口を掲載しています。

 

sasadango01.tumblr.com

奥只見ダム

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奥只見(おくただみ)ダムとは、新潟県福島県の間に存在するダムです。

 

福島県南会津郡檜枝岐村新潟県魚沼市に跨っています。

電源開発株式会社が管理しています。

 

ダムカードから引用した奥只見ダムのデータは以下のとおりです。

 

型式      重力式コンクリートダム

ゲート   ラジアルゲート×2門

ハウエルバンガーバルブ×1基

堤高      157m

堤頂長   480m

堤体積   1,636.3千m3

総貯水容量          6億100万m3

本体着工/完成年 1954/1960年

流域面積             595.1km2

満水位標高          750m

利用水深             60m

湛水面積             11.5km2

ダムの目的          発電

 

小説や映画の『ホワイトアウト』のモデルにもなったダムです。

巨大ダムがテロリストに乗っ取られたというストーリーで、その巨大ダムのモデルとなったのが奥只見ダムです。

 

ダムの下流には観光施設があり、イワナなどの魚が食べられます。

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奥只見ダムによって作られた人口の湖、奥只見湖で遊覧船に乗って楽しむこともできます。

けんさ焼きの語源 上杉謙信説

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春日山城の上杉謙信像|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

から拝借

 

けんさ焼きの語源は、「剣刺し」からきているという説があります。

その説には2種類の起源説があります。

どちらの説も「武士が剣におにぎりを刺して焼いて食べた」という点が共通しています。

この章では、その2つを詳しく解説していきます。

 

1つ目の説は、上杉謙信がけんさ焼きを食べたことが由来の説です。

戦の際に、上杉謙信が剣の先におにぎりを刺して、それを焼いて食べたと言われています。

剣(けん)の先に刺し(さし)て焼(や)いて食べたことから、けんさし焼きとも呼ばれました。

そして、けんさしの「し」がなくなり、けんさ焼きと呼ばれるようにもなりました。

また、上杉謙信が食べたことから、謙信(けんしん)の名前をとってけんしん焼と呼ばれるようになりました。

これがけんさ焼きやけんしん焼の由来です。

 

2つ目の説は、武士がけんさ焼きを食べた説です。

上杉家とそのライバル武田家との戦闘で傷ついた武士たちが、剣の先におにぎりを刺して、それをたき火で焼いていました。

それを見た農民が、おにぎりにショウガ味噌を塗ってあげた。

というのが旧巻町福井地区に伝わるけんさ焼きの由来です。

 

この説も上杉謙信説と同様に「武士が剣におにぎりを刺して焼いて食べた」説です。

このことから、けんさ焼きは、武士と関係性のある食べ物と言えます。

 

 

けんさ焼きものしり事典 新潟県の名産品

けんさ焼きものしり事典 新潟県の名産品

 

 

『けんさ焼きものしり事典』お問い合わせコーナー

弊著『けんさ焼きものしり事典』へのご質問・ご意見・ご感想などがございましたら、

こちらのコメント欄にお気軽にご記入ください。

なお、内容によっては返答いたしかねます。

 

また、ブログやWEBサイトで幣著を

掲載・紹介などしていただく際、

強制ではありませんが、

こちらにご一報いただけますと幸いです。

 

コラボ依頼やオファー、寄稿文の掲載なども

こちらのコーナーで受け付けております。

 

当ブログはリンクフリーです。

ご自由にブログ等にご掲載ください。

 

けんさ焼きものしり事典 新潟県の名産品

けんさ焼きものしり事典 新潟県の名産品

 

 

弊著が「きんどるどうでしょう」様に取り上げられました!

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弊著『笹団子ものしり事典』が電子書籍紹介サイト最大手の「きんどるどうでしょう」様に紹介されました。

kindou.info

 

きんどるどうでしょう様は閲覧者が毎日1万人以上いる人気サイトです。

 

Amazonキンドル電子書籍だけでなく、Amazon総合サイトを目指しておられるようです。

kindou.info

管理人のきんどう様にはこの場を借りて御礼申し上げます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

新潟の日本酒を紹介!

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新潟県は、お米を利用した日本酒も有名です。

日本酒の生産量は47都道府県で京都・兵庫に次いで3位ですが、消費量や蔵元の数は日本一です。

新潟の日本酒の味わいは、全体的に「スッキリとした辛口」となっています。

新潟県の日本酒には、数多くの日本酒のブランドがありますが、今回ご紹介する日本酒は「久保田」と「八海山」です。

 

「久保田」は、新潟県長岡市にある朝日酒造株式会社が作った日本酒です。

朝日酒造は、江戸時代の1830(天保元)年に創業された老舗店です。

「久保田」は、香りがほんのりしていて、味に癖がなく、スッキリとした味わいとなっています。

飲みやすいので、日本酒を初めて飲む方にもオススメできる1品です。

久保田 萬寿 純米大吟醸 720 ml

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「八海山」は、魚沼地方の南魚沼市にある八海醸造株式会社が作った日本酒です。

八海醸造は、1922(大正11)年に創業された老舗店です。

「八海山」は、スッキリとした辛さの爽快感やまろやかな旨みがあり、キレのある後口となっています。

1980年代に起こった地酒ブームの火付け役となった日本酒です。

 

八海山 大吟醸酒 720ml

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1分で分かる魚沼産コシヒカリ

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新潟県コシヒカリの生産地としてとても有名な県です。

新潟県のお米の生産量は47都道府県中1位となっています。

 

コシヒカリの中で一番有名なブランドなのが魚沼産コシヒカリです。

魚沼産コシヒカリとは、新潟の魚沼地方でとれるお米です。

魚沼地方は、福島・群馬に隣接していて、新潟県内でも有数の豪雪地帯です。

新潟・福島・群馬にまたがる山々から流れてくる大量の雪解け水やコシヒカリの栽培に適した気候や土壌によって、魚沼地方で美味しいお米がとれます。

魚沼産コシヒカリは、粘りが強く、甘みや旨みがあるため、冷めても美味しく食べられます。

1分で分かる三角ちまき

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三角ちまきとは、三角形のもち米を笹で包んだ食べ物です。

 

水切りしたもち米を笹で包んで、三角形を作って草のヒモで縛り、それを蒸して完成します。

 

もち米の色は白色で、味は何もついていません。

 

そのため、きな粉などを三角ちまきにつけて召し上がります。

 

バナナのように笹をむいて、手を汚さないように三角ちまきを食べるのが一般的な笹団子の食べ方です。

 

三角ちまきは新潟県発祥の食べ物です。

 

新潟県では、三角ちまきのことを「三角」を取って「ちまき」と呼ぶことが多いです。

 

新潟県民が「ちまき」と聞いて思い浮かべるのがこの三角ちまきです。

 

笹団子とセットで売られていることもあり、どちらも人気のある食べ物です。

 

新潟県内では、端午の節句に食べられます。

 

三角ちまきは新潟県民に広く愛された食べ物なのです。

おにぎりと三角ちまき おにぎりの歴史やけんさ焼き

 

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おにぎりと三角ちまきには共通している点があります。

 

①米を使った食べ物

②形が三角形

③物を巻いて食べる(海苔、笹の葉)

 

この共通点から、おにぎりと三角ちまきに関係性があると考える人もいるかもしれません。

しかし、一般社団法人おにぎり協会によると。

三角ちまきとおにぎりには直接的な関係性はないとのことです。

両者の関係を結びつける資料はありません。

よって、おにぎりと三角ちまきには関係性がありません。

 

しかし、三角ちまきの元となった「ちまき」とおにぎりの歴史はとても古いです。

「ちまき」の詳しい歴史については、後述します。

おにぎりは、弥生時代から存在しました。

また、おにぎりは上杉家とも関係がありました。

 

この章では、おにぎりの簡単な歴史と上杉家との関係について解説し、次の章で「ちまき」の歴史について解説していきます。

 

まず、日本に稲作が伝わったのは、紀元前6000年頃の縄文時代です。

九州から東北までの日本全国に長い時間をかけて稲作が広まっていきました。

最古のおにぎりは、紀元1000年頃の弥生時代と言われています。

1987(昭和62)年、石川県鹿島郡(現・中能登町(なかのとまち)杉谷チャノバタケ遺跡から米粒の塊が出土しました。

その後の研究で蒸した後に焼いたことが分かりました。

米を炊いて握ったものではないため、現在のおにぎりというよりも、三角ちまきに近いものでした。

 

また、2009年には、横浜市古墳時代の遺跡から、弁当箱に入った炭化した米粒の塊が出土しました。

もしかすると、今後将来の研究によって、紀元1000年よりも古いおにぎりが発見されるかもしれません。

 

現在のおにぎりの原型とされているのは、平安時代の屯食(とんじき)です。

屯食は、もち米を蒸したものを卵形に握って作られた食べ物です。

貴族に仕えた下働きの人間に振舞われたと言われています。

 

鎌倉時代から武士たちの携帯食としておにぎりが食べられるようになりました。

承久の乱で鎌倉の武士たちに梅干し入りのおにぎりが配られたと言われています。

 

戦国時代においてもおにぎりは武士たちに食されました。

それは越後においても同様でした。

 

上杉謙信には養子の上杉景虎(うえすぎかげとら)(1554~79年)がいました。

謙信没後、上杉家の家督をめぐって養子同士の争いが起こりました(御館の乱(おたてのらん)、1578~80年)。

家督争いに敗れた景虎は、鮫ヶ尾城(現・新潟県妙高市)で自害しました。

 

2008(平成20)年、その鮫ヶ尾城跡で炭化した米粒の塊が出土しました。

炭素14」という年代測定法により、1579年の落城した時のものと測定されました。

つまり、景虎がおにぎりを食べたかどうかは不明ですが、籠城していた武士たちがおにぎりを食べていたことが分かります。

 

以上のことから上杉家では、おにぎりが食べられていたと推測できます。

そして、現在も食べられている郷土食のおにぎりと上杉謙信が関係していたとされる謂れがあります。

その郷土食は、「けんさ焼き」というものです。

 

けんさ焼きとは、焼きおにぎりに酷似した食べ物です。

おにぎりを焼いて、その上に味噌や砂糖、おろし生姜を混ぜたものを塗った食べ物です。

 

戦の際、上杉謙信がおにぎりに剣を刺して焼いて食べたと言われています。

「剣(けん)の先」におにぎりを刺して「焼いた」ことから、けんさ焼きと言われるようになりました。

 

資料が全く残されていないため、はっきりとしたことは分かっていません。

しかし、謙信は金山経営と貿易で日本で一二を争うほどお金を持っていた大名です。

柏崎港(現・新潟県柏崎市)と直江津港(現・新潟県上越市)の交易で一国の経済に匹敵するほどの儲けを得ていました。

この二港の交易で当時高価だった砂糖を手に入れていた可能性が十分あります。

よって、裏付ける資料はないものの、けんさ焼きの謂れには信憑性があります。

 

おにぎりの今後の発見や研究によって、上杉謙信がおにぎりやけんさ焼きを食べたことがはっきりと分かるかもしれません。

また、おにぎりや三角ちまきを直接結び付ける資料が見つかるかもしれません。

おにぎりの今後の発見や研究に期待します。

 

 

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

 

 

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三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

 

 

弊著が「でん速」様と「キンドル本集めました」様に取り上げられました!

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弊著『笹団子ものしり事典』が電子書籍紹介サイトの「でん速」様と「キンドル本集めました」様に紹介されました。

densoku.publog.jp

笹団子ものしり事典 | kindle本集めました

 

どちらのサイト様も様々な電子書籍が紹介されているので、自分に合った本や面白そうな本が見つかるかもしれません。

 

この場を借りて「でん速」様と「キンドル本集めました」様の管理人様に御礼申し上げます。

 

 2017年7月31日追記

弊著『三角ちまきものしり事典』が「でん速」様と「キンドル本集めました」様に紹介されました。

densoku.publog.jp

三角ちまきものしり事典 | kindle本集めました

 

 

 

 

 

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

 

 

けんさ焼き

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けんさ焼きとは、新潟県で食されている郷土料理です。

焼きおにぎりによく似ています。

焼いたおにぎりの上にショウガや砂糖などを混ぜたものを乗せる食べ物です。

 

丸く平たいおにぎりを作った後、おにぎりを焼きます。

おろしショウガや砂糖や味噌を混ぜて、それを焼いたおにぎりの上に塗って、こんがり焼いて完成です。

簡単に手軽に作れて食べられる料理です。

 

けんさ焼きのルーツは上杉謙信と言われています。

上杉謙信は、越後(新潟県旧国名)の大名です。

義のため、関東地方や信濃(長野県の旧国名)、越中富山県旧国名)に度々出兵していました。

その出兵の折、謙信がおにぎりに剣を刺して焼いて食べた。

と言われています。

「剣(けん)」の先におにぎりを刺して「焼いた」ことから、けんさ焼きと言われるようになりました。

そのため、けんさ焼きは「剣先焼き」「けんさん焼き」とも呼ばれます。

 

戦国時代にルーツがあり、歴史は古くとも現在に通じる味のけんさ焼き。

簡単に手軽に誰にでも作れる料理ですので、

朝食やお酒のおつまみに食べてみるのもいかがでしょうか。

寄稿募集中

弊ブログでは、名産品以外の新潟のもののPRを考えております。

そこで、新潟県に纏わるものの寄稿文を募集しております。

 

①新潟に纏わるもの

②宣伝やPR

 

①②の順に記事に載せます。

 

①新潟に纏わるもの

【ジャンル】

食べ物、歴史、人物、地理、気候、産業、観光地、史跡、面白スポット、動物、植物

などなど新潟に纏わるものは何でもOKです。

公序良俗に反するものは掲載いたしかねます。

【字数】

200~500文字程度。

500文字をオーバーしても全くかまいません。

200文字以下の場合は当方にお申し出ください。

 

②宣伝やPR

①の後に宣伝文やPR文を掲載します。

【ジャンル】

商品、会社、個人など何でもOKです。

ただし、個人の場合は個人情報を掲載いたしかねる場合がございます。

【字数】

500文字までなら何文字でもかまいません。

 

掲載申請の後、当方が審査いたします。

審査後、当方が記事を作成してブログに掲載いたします。

 

掲載申請は、コメント欄や

当方のツイッターのダイレクトメール

にお願いいたします。

何故、笹団子が家庭で作られなくなったのか 産業構造の変化説

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笹団子は明治頃から昭和時代まで新潟県の各家庭で作られていました。

家庭で笹団子が作られなくなったのは昭和の第二次世界大戦後からです。

家庭で作る機会が減ってから、笹団子の新潟県のお土産品になっていきました。

何故、笹団子は家庭で作られなくなったのでしょうか。

その理由の1つを考察します。

 

笹団子が家庭で作られなくなった説の1つに産業構造の変化説が挙げられます。

 

総務省の「労働力調査 長期時系列データ」の「第10回改定日本標準産業分類別就業者数」によると。

http://www.stat.go.jp/data/roudou/longtime/03roudou.htm

 

1953(昭和28)年の農林業の就業者は約1400万人。

林業を含めた日本の労働人口は約3900万人。

つまり、労働人口の約3分の1、3人に1人が農林業に従事していました。

 

笹団子が全国に広まるきっかけになった新潟国体のあった年、1964(昭和39)年になると。

林業の就業者は約1000万人にまで減りました。

林業を含めた日本の労働人口は約4600万人。

労働人口の約5分の1近くとなり、農林業に従事する労働者はおよそ5人に1人にまで減りました。

 

ちなみに現在の数字は。(2016(平成28)年)

林業の就業者は約200万人。

林業を含めた日本の労働人口は約6400万人です。

 

笹団子の材料である笹の葉やスゲなどの草のヒモは山で採れます。

笹団子が作られていた頃は、多くの家庭が農家であり、農作業の傍らに山で笹団子の材料を採りに行っていました。

それが上記のように、農林業就業者は年々減り続けました。

林業から製造業などの産業へ人が集まるようになり、山へ行く機会がなくなりました。

当然、笹団子の材料である笹の葉や草のヒモを手に取る機会が減りました。

材料を手に入れる機会が減った結果、材料がなければ作れないため、笹団子を各家庭で作られなくなりました。

 

よって農林業から他の産業へ人が移った産業構造の変化が、

家庭で笹団子が作られなくった理由の1つではないかと推測します。

 

笹団子ものしり事典 新潟県の名産品

笹団子ものしり事典 新潟県の名産品