新潟の名産品を紹介します!

このブログは、①新潟県の名産品の紹介と②弊著へのご感想とご意見、ご質問の受付を目的としています。

信越キノコ戦争 新潟と長野の戦い

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信越キノコ戦争とは、新潟と長野のキノコメーカーがキノコ市場をめぐって争っている企業間競争です。

きのこの山たけのこの里の対決ではありません。

信越とは、長野の旧国名信濃国と新潟の旧国名越後国、それぞれ旧国名の頭文字を取った言葉です。

 

キノコ業界を簡単に解説した記事ですので、就活生の業界研究にも役立てれば幸いです。

 

新潟のキノコメーカーは、南魚沼市の株式会社雪国まいたけ

長野のキノコメーカーは、長野市の株式会社ホクトです。

日本国内のキノコ業界は、この2社がシェアの多くを占める2強体制となっています。

キノコ市場はおよそ2300億円の市場規模で、雪国まいたけが約270億円、ホクトが約430億円の売上高となっています。

昨今では、人工栽培に不可能と言われてきたホンシメジの生産に成功した滋賀県タカラバイオ株式会社(キノコ事業部売上高:約19億円)が台頭してきています。

タカラバイオ株式会社

 

ホクトは、エリンギやブナシメジを主力商品としているキノコメーカーです。

www.hokto-kinoko.co.jp

「きのっこのこのこ、げんきのこ~♪」の歌でよく知られています。

www.youtube.comここ数年では、俳優の要潤氏と女優の鈴木砂羽氏が出演したCMが話題となりました。

www.youtube.com

一方、雪国まいたけは、まいたけを主力商品としたキノコメーカーです。

www.maitake.co.jp

元々まいたけは、高価な食べ物でした。

まいたけの由来は諸説ありますが、

江戸時代に農民たちがまいたけを殿様に献上して、その褒美に多くの銀をもらって、喜んで舞を踊ったことがまいたけ(舞茸)の由来と言われています。

この由来から分かるとおり、まいたけは高価な食べ物で、今から30年前の昭和時代までまいたけは高価な食べ物でした。

そのまいたけを庶民でも食べれるようにしたのが雪国まいたけ創業者の大平善信(おおだいら よしのぶ)社長です。

大平社長がまいたけの大量生産に成功し、それまで1kg1万円だった価格が1kg1500円にまで価格破壊され、庶民の食卓にまいたけが上がるようになりました。

 

雪国まいたけは、まいたけ市場を独占して成長していきました。

ホクトは、エリンギとブナシメジの市場を独占し、両社がそれぞれの市場を独占するという暗黙の了解で住み分けをしていました。

しかし、2000(平成12)年にホクトが突如まいたけ市場に参入。

これを受けた雪国まいたけは2002(平成14)年にブナシメジ市場に参入。

こうして信越キノコ戦争が始まりました。

 

消費者の取り込みを狙って、両社とも印象的なテレビCMを展開しました。

2002年から上記のホクトのキノコの歌のCMが放映されました。

2003(平成15)年には、歌手の郷ひろみ氏が、2006(平成18)年には芸人のはなわ氏が出演する雪国まいたけのCMが放送されました。

www.youtube.com

両社の競争の結果、低価格のキノコが消費者の手に渡りました。

しかし、熾烈な価格競争によって両社とも利益は大幅に下がりました。

雪国まいたけはおよそ40パーセント、ホクトはおよそ15パーセントの減少となりました。

 

信越マイタケ戦争は2017年現在も続いており、両社ともキノコ業界の覇権をめぐって争っています。

新興勢力のタカラバイオが覇権争いに加わり、キノコ三国志の様相になるのか、キノコ業界から目が離せません。

 

新潟の県花 チューリップ

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チューリップが新潟県の花となった経緯を簡単に解説します。


「え?チューリップって富山県の花じゃないの?」と思う方もいるかもしれません。
チューリップの国内生産シェアは富山県新潟県の2県が独占する形で占めています。

新潟県では切り花の出荷量、富山県では球根の出荷量がそれぞれ全国1位となっています。
よって、チューリップは富山県新潟県の花と言っても差し支えないでしょう。

 

富山県新潟県でチューリップが栽培されるようになったのも同時期でした。
チューリップの原産地はトルコのアナトリア地方とされています。
トルコのオスマン帝国で栽培が盛んとなり、現在のトルコにおいてもチューリップは輸出品となっています。
オスマン帝国からオランダにチューリップが伝わり、江戸時代の鎖国貿易でオランダから日本に伝わりました。
江戸時代は日本のチューリップ栽培は盛んではありませんでした。
チューリップが日本で盛んに栽培されるようになったのは大正時代からです。
この大正時代に富山県新潟県でチューリップが盛んに栽培されようになりました。

 

富山県では1918(大正7)年、新潟県では1919(大正8)年と第一次世界大戦中に本格的なチューリップ栽培が開始されました。

富山では東砺波郡庄下村(現・砺波市)の農家であり、後に「チューリップの父」と呼ばれる水野豊造氏がチューリップを栽培していました。

新潟では小合村(現・新潟市秋葉区)の農家で本格的な栽培が始まりました。

現在では新潟市にある秋葉区にある「道の駅花夢里にいつ」に「日本チューリップの発祥の地」という記念碑が建てられています。

小合村を含めた下越地域を中心にチューリップ栽培が盛んとなり、1963(昭和38)年には新潟県県花に指定されるようになりました。

 

チューリップは多種多様の色があって綺麗なため、観光資源としても重宝されています。

新潟県のチューリップの名所には、主に以下の5か所があります。

・新潟ふるさと村(新潟市西区

国営越後丘陵公園長岡市

・紫雲寺記念公園(新発田市

長池憩いの森公園チューリップ畑(胎内市

五泉市巣本(五泉市

 

チューリップの歴史や県花となった過程を頭に入れながら、チューリップ畑をのんびりと散策して眺めてみるのも風流な楽しみ方かもしれません。

上野駅の新潟物産イベントに行ってきました!

youtu.be

東京のJR上野駅構内で開催していた新潟物産販売のイベント「新潟産直市」に行ってきました。

地産品の販売やマスコットキャラや武将隊のパフォーマンスなどが行われていました。

新潟産直市は、JRが主催し、新潟県などが共催するイベントです。

今年は9月21日の木曜日から23日の土曜日まで行われました。

イベントの内容は主に物産販売、パフォーマンス、体験の3つでした。

 

①物産販売

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物産販売では、笹団子や日本酒、魚沼産コシヒカリ、凧、かんずりなど食品が多く売られていました。

魚沼産コシヒカリは量り売りで売られていました。

新潟の美味しい食べ物が売られ、多くの人が立ち寄っていました。

 

②パフォーマンス

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上越市の武将隊やご当地キャラによるパフォーマンスも行われていました。

オープニングセレモニーでは、武将隊のお二人が殺陣(たて)による演舞を披露してくれました。

とても迫力があり、観客の外国人の方々もまじまじと演舞を見ていました。

筆者も見とれてしまい動画を撮り忘れてしまったので、動画で演舞をお見せできないのが残念です…

なお、上杉謙信公も武将隊に参加しているようですが、23日の土曜日は地元のお祭りに参加するとのことで謙信公の殺陣は見れませんでした。

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武将隊の次にご当地キャラたちによるパフォーマンスがありました。

ご当地キャラは左からブラック番長(糸魚川市)、ナッちゃん(長岡市)、レルヒさん(新潟県全域)、ブリカツくん佐渡市)です。(データはにいがた観光ナビより

ゆるキャラ:新潟県全域/にいがた観光ナビ) 

 

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ブラック番長さんが音楽に合わせて激しいダンスを見せてくれました。

ふなっしーに負けず劣らずの激しい動きでした。

ちなみにブラック番長さんは、糸魚川市のご当地名物「ブラック焼きそば」に使われるイカ墨のイカがモチーフのキャラです。

ブラック焼きそばは焼きそばにイカ墨を加えた糸魚川市の名物です。

r.gnavi.co.jpサングラスを取ると可愛い目をしているので必見です。

 

③体験

今年は、金塊掴み体験・翡翠探し体験(女性限定)・スプーン研磨体験がやってました。

筆者はそのうちの金塊掴み体験をしてきました。

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重さ7.5kgの金塊を30秒の制限時間内に箱から取り出すと景品がもらえるというゲームでした。

金塊はおよそ6,000万円相当の物だそうです。

この体験は5人ほど行列ができていて、金塊を取り出すのにみなさん苦労していました。

筆者もやってみましたが………金塊が重いです!

これは取り出せないだろう………………と思っていましたが。

あっさり金塊が取れました。

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そして景品として本物の金塊およそ1000万円相当の物をいただきました!

 

 

 

 

というのはウソです。

景品は金塊型のティッシュボックスでした。

本物の金塊がよか・・・(中略)

 

以上が新潟産直市のレポートです。

物販だけではなく、パフォーマンスが見れたり、体験ができたりしてとても楽しいイベントでした。

来年も開催されるかどうかわかりませんが、東京在住の方は是非足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

 

 

おまけ

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BL(ブリラブ)?

 

東京の新潟アンテナショップに行ってきました!

先日、東京にある新潟のアンテナショップ2軒行ってきました。

1軒目は表参道にある「ネスパス新潟館」です。

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山手線原宿駅から徒歩約10分程度の所にありました。

1階が物販スペースで、地下が飲食店となっています。

飲食店には行かずに1階で買い物をしてきました。

店内の約9割が飲食物となっていて、残りは燕三条の金物やササダンゴンなどのTシャツが売られていました。

店内の奥は休憩スペースとなっていて、新潟の観光PRビデオが流れていました。

 

飲食物は主に笹団子や三角ちまき、おにぎり、日本酒、米菓などが売られています。

新潟でしか買えないことでも有名なお菓子のサラダホープも売られていました。

新潟で買える飲食物の多くがこのネスパス新潟館に網羅されています。

急に新潟の食べ物の多くが恋しくなったら、ネスパス新潟館でお買い物を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

2軒目は日本橋にある「ブリッジにいがた」です。

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東京メトロ銀座線・半蔵門線三越前駅A1出口からすぐにあります。

ブリッジにいがたは、売られている商品が毎週変わる販売形態となっています。

商品が常に変わらないネスパス新潟館との違いはそれです。

 

私が行った週は、笹団子や漬物、村上の酒、甘酒など飲食物が主に売られていました。

飲食物以外には、小千谷縮の洋服が販売されていました。

 

イベントのスケジュールは公式サイトに公開されているので、詳細はそちらをご確認ください。

www.daishi-bank.co.jp

週ごとに行くたびに商品が変わっているのがブリッジ日本橋の魅力です。

度々足を運んで新潟の商品の魅力を再発見してみてはいかがでしょうか。

石川雲蝶 日本のミケランジェロ

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    出典:にいがた観光ナビ:特集 日本のミケランジェロ 石川雲蝶

 

石川雲蝶(いしかわ うんちょう)とは、江戸時代の幕末期に活躍した彫刻家です。

雲蝶の作った木彫りの彫刻が新潟県内に多数残されています。

 

生まれは江戸(東京)の雑司ヶ谷です。

越後(新潟)へ移り住み、越後でその生涯を閉じました。

雲蝶を評するキャッチコピーの「日本のミケランジェロ」はTV番組のなんでも鑑定団で有名な中島誠之助氏の呟いた言葉が元ネタです。

 

雲蝶の木彫りの彫刻は、新潟県内のお寺に保存されています。

中でも有名なのが西福寺の彫刻です。

上記の画像は、西福寺のつり天井に飾られている雲蝶の彫刻です。

山で虎に出くわした道元禅師が龍神に助けられたという図の彫刻です。

虎の目には、ギヤマンというガラスが使われていて、まるで本当に生きているかのような目をしています。

 

雲蝶の木彫り彫刻は、細かく木が彫られ、また、人物や動物がダイナミックに表現されています。

木彫りの人物の目は今にも動き出しそうな目をしており、生きているのではないかと錯覚するくらい動的な彫刻物となっています。

 

西福寺以外にも新潟県内のお寺には多くの作品が残されています。

くわしくは、以下のURLをご参照ください。

特集 日本のミケランジェロ 石川雲蝶/にいがた観光ナビ

 

西福寺には、新潟のみならず関東ナンバーの車が多くあり、新潟県以外の方が大勢訪れていました。

車で新潟へ旅行する際は、ぜひ雲蝶の木彫り彫刻をご覧ください。

『三角ちまきものしり事典』読者様のご感想一覧

弊著『三角ちまきものしり事典』の読者様から頂いたご感想を紹介していきます。

 
電子書籍だけでなく、紙の本の読者様の感想も掲載しています。

 

東京の葛飾区出身だが、「ちまき」と言えば中華ちまきなので、新潟では三角ちまきが食べられていることを初めて知った。

                          2017年8月13日【40代 男性】

 

 

子供の頃は、三角ちまきを家の中で吊るしていた。吊るされた三角ちまきを見て食べるのを楽しみに待っていた。

                          2017年7月19日【50代 男性】

 

 

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

 

 

Tumblrで弊著のランディングページを作りました。

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TumblrとはホームページやSNSを組み合わせたようなSNSです。

 

そのTumblrを使って、弊著の紹介ページを作りました。

弊著のアピールポイント、実績、お問い合わせ窓口を掲載しています。

 

sasadango01.tumblr.com

奥只見ダム

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奥只見(おくただみ)ダムとは、新潟県福島県の間に存在するダムです。

 

福島県南会津郡檜枝岐村新潟県魚沼市に跨っています。

電源開発株式会社が管理しています。

 

ダムカードから引用した奥只見ダムのデータは以下のとおりです。

 

型式      重力式コンクリートダム

ゲート   ラジアルゲート×2門

ハウエルバンガーバルブ×1基

堤高      157m

堤頂長   480m

堤体積   1,636.3千m3

総貯水容量          6億100万m3

本体着工/完成年 1954/1960年

流域面積             595.1km2

満水位標高          750m

利用水深             60m

湛水面積             11.5km2

ダムの目的          発電

 

小説や映画の『ホワイトアウト』のモデルにもなったダムです。

巨大ダムがテロリストに乗っ取られたというストーリーで、その巨大ダムのモデルとなったのが奥只見ダムです。

 

ダムの下流には観光施設があり、イワナなどの魚が食べられます。

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奥只見ダムによって作られた人口の湖、奥只見湖で遊覧船に乗って楽しむこともできます。

けんさ焼きの語源 上杉謙信説

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春日山城の上杉謙信像|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

から拝借

 

けんさ焼きの語源は、「剣刺し」からきているという説があります。

その説には2種類の起源説があります。

どちらの説も「武士が剣におにぎりを刺して焼いて食べた」という点が共通しています。

この章では、その2つを詳しく解説していきます。

 

1つ目の説は、上杉謙信がけんさ焼きを食べたことが由来の説です。

戦の際に、上杉謙信が剣の先におにぎりを刺して、それを焼いて食べたと言われています。

剣(けん)の先に刺し(さし)て焼(や)いて食べたことから、けんさし焼きとも呼ばれました。

そして、けんさしの「し」がなくなり、けんさ焼きと呼ばれるようにもなりました。

また、上杉謙信が食べたことから、謙信(けんしん)の名前をとってけんしん焼と呼ばれるようになりました。

これがけんさ焼きやけんしん焼の由来です。

 

2つ目の説は、武士がけんさ焼きを食べた説です。

上杉家とそのライバル武田家との戦闘で傷ついた武士たちが、剣の先におにぎりを刺して、それをたき火で焼いていました。

それを見た農民が、おにぎりにショウガ味噌を塗ってあげた。

というのが旧巻町福井地区に伝わるけんさ焼きの由来です。

 

この説も上杉謙信説と同様に「武士が剣におにぎりを刺して焼いて食べた」説です。

このことから、けんさ焼きは、武士と関係性のある食べ物と言えます。

 

 

けんさ焼きものしり事典 新潟県の名産品

けんさ焼きものしり事典 新潟県の名産品

 

 

『けんさ焼きものしり事典』お問い合わせコーナー

弊著『けんさ焼きものしり事典』へのご質問・ご意見・ご感想などがございましたら、

こちらのコメント欄にお気軽にご記入ください。

なお、内容によっては返答いたしかねます。

 

また、ブログやWEBサイトで幣著を

掲載・紹介などしていただく際、

強制ではありませんが、

こちらにご一報いただけますと幸いです。

 

コラボ依頼やオファー、寄稿文の掲載なども

こちらのコーナーで受け付けております。

 

当ブログはリンクフリーです。

ご自由にブログ等にご掲載ください。

 

けんさ焼きものしり事典 新潟県の名産品

けんさ焼きものしり事典 新潟県の名産品

 

 

弊著が「きんどるどうでしょう」様に取り上げられました!

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弊著『笹団子ものしり事典』が電子書籍紹介サイト最大手の「きんどるどうでしょう」様に紹介されました。

kindou.info

 

きんどるどうでしょう様は閲覧者が毎日1万人以上いる人気サイトです。

 

Amazonキンドル電子書籍だけでなく、Amazon総合サイトを目指しておられるようです。

kindou.info

管理人のきんどう様にはこの場を借りて御礼申し上げます。

ありがとうございました。

 

 

 

 

新潟の日本酒を紹介!

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新潟県は、お米を利用した日本酒も有名です。

日本酒の生産量は47都道府県で京都・兵庫に次いで3位ですが、消費量や蔵元の数は日本一です。

新潟の日本酒の味わいは、全体的に「スッキリとした辛口」となっています。

新潟県の日本酒には、数多くの日本酒のブランドがありますが、今回ご紹介する日本酒は「久保田」と「八海山」です。

 

「久保田」は、新潟県長岡市にある朝日酒造株式会社が作った日本酒です。

朝日酒造は、江戸時代の1830(天保元)年に創業された老舗店です。

「久保田」は、香りがほんのりしていて、味に癖がなく、スッキリとした味わいとなっています。

飲みやすいので、日本酒を初めて飲む方にもオススメできる1品です。

久保田 萬寿 純米大吟醸 720 ml

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「八海山」は、魚沼地方の南魚沼市にある八海醸造株式会社が作った日本酒です。

八海醸造は、1922(大正11)年に創業された老舗店です。

「八海山」は、スッキリとした辛さの爽快感やまろやかな旨みがあり、キレのある後口となっています。

1980年代に起こった地酒ブームの火付け役となった日本酒です。

 

八海山 大吟醸酒 720ml

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1分で分かる魚沼産コシヒカリ

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炊き立てのご飯/箸米ver|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

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新潟県コシヒカリの生産地としてとても有名な県です。

新潟県のお米の生産量は47都道府県中1位となっています。

 

コシヒカリの中で一番有名なブランドなのが魚沼産コシヒカリです。

魚沼産コシヒカリとは、新潟の魚沼地方でとれるお米です。

魚沼地方は、福島・群馬に隣接していて、新潟県内でも有数の豪雪地帯です。

新潟・福島・群馬にまたがる山々から流れてくる大量の雪解け水やコシヒカリの栽培に適した気候や土壌によって、魚沼地方で美味しいお米がとれます。

魚沼産コシヒカリは、粘りが強く、甘みや旨みがあるため、冷めても美味しく食べられます。

1分で分かる三角ちまき

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三角ちまきとは、三角形のもち米を笹で包んだ食べ物です。

 

水切りしたもち米を笹で包んで、三角形を作って草のヒモで縛り、それを蒸して完成します。

 

もち米の色は白色で、味は何もついていません。

 

そのため、きな粉などを三角ちまきにつけて召し上がります。

 

バナナのように笹をむいて、手を汚さないように三角ちまきを食べるのが一般的な笹団子の食べ方です。

 

三角ちまきは新潟県発祥の食べ物です。

 

新潟県では、三角ちまきのことを「三角」を取って「ちまき」と呼ぶことが多いです。

 

新潟県民が「ちまき」と聞いて思い浮かべるのがこの三角ちまきです。

 

笹団子とセットで売られていることもあり、どちらも人気のある食べ物です。

 

新潟県内では、端午の節句に食べられます。

 

三角ちまきは新潟県民に広く愛された食べ物なのです。

おにぎりと三角ちまき おにぎりの歴史やけんさ焼き

 

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おにぎりと三角ちまきには共通している点があります。

 

①米を使った食べ物

②形が三角形

③物を巻いて食べる(海苔、笹の葉)

 

この共通点から、おにぎりと三角ちまきに関係性があると考える人もいるかもしれません。

しかし、一般社団法人おにぎり協会によると。

三角ちまきとおにぎりには直接的な関係性はないとのことです。

両者の関係を結びつける資料はありません。

よって、おにぎりと三角ちまきには関係性がありません。

 

しかし、三角ちまきの元となった「ちまき」とおにぎりの歴史はとても古いです。

おにぎりは、弥生時代から存在しました。

また、おにぎりは上杉家とも関係がありました。

 

まず、日本に稲作が伝わったのは、紀元前6000年頃の縄文時代です。

九州から東北までの日本全国に長い時間をかけて稲作が広まっていきました。

最古のおにぎりは、紀元1000年頃の弥生時代と言われています。

1987(昭和62)年、石川県鹿島郡(現・中能登町(なかのとまち)杉谷チャノバタケ遺跡から米粒の塊が出土しました。

その後の研究で蒸した後に焼いたことが分かりました。

米を炊いて握ったものではないため、現在のおにぎりというよりも、三角ちまきに近いものでした。

 

また、2009年には、横浜市古墳時代の遺跡から、弁当箱に入った炭化した米粒の塊が出土しました。

もしかすると、今後将来の研究によって、紀元1000年よりも古いおにぎりが発見されるかもしれません。

 

現在のおにぎりの原型とされているのは、平安時代の屯食(とんじき)です。

屯食は、もち米を蒸したものを卵形に握って作られた食べ物です。

貴族に仕えた下働きの人間に振舞われたと言われています。

 

鎌倉時代から武士たちの携帯食としておにぎりが食べられるようになりました。

承久の乱で鎌倉の武士たちに梅干し入りのおにぎりが配られたと言われています。

 

戦国時代においてもおにぎりは武士たちに食されました。

それは越後においても同様でした。

 

上杉謙信には養子の上杉景虎(うえすぎかげとら)(1554~79年)がいました。

謙信没後、上杉家の家督をめぐって養子同士の争いが起こりました(御館の乱(おたてのらん)、1578~80年)。

家督争いに敗れた景虎は、鮫ヶ尾城(現・新潟県妙高市)で自害しました。

 

2008(平成20)年、その鮫ヶ尾城跡で炭化した米粒の塊が出土しました。

炭素14」という年代測定法により、1579年の落城した時のものと測定されました。

つまり、景虎がおにぎりを食べたかどうかは不明ですが、籠城していた武士たちがおにぎりを食べていたことが分かります。

 

以上のことから上杉家では、おにぎりが食べられていたと推測できます。

そして、現在も食べられている郷土食のおにぎりと上杉謙信が関係していたとされる謂れがあります。

その郷土食は、「けんさ焼き」というものです。

 

youtu.be

けんさ焼きとは、焼きおにぎりに酷似した食べ物です。

おにぎりを焼いて、その上に味噌や砂糖、おろし生姜を混ぜたものを塗った食べ物です。

 

戦の際、上杉謙信がおにぎりに剣を刺して焼いて食べたと言われています。

「剣(けん)の先」におにぎりを刺して「焼いた」ことから、けんさ焼きと言われるようになりました。

 

資料が全く残されていないため、はっきりとしたことは分かっていません。

しかし、謙信は金山経営と貿易で日本で一二を争うほどお金を持っていた大名です。

柏崎港(現・新潟県柏崎市)と直江津港(現・新潟県上越市)の交易で一国の経済に匹敵するほどの儲けを得ていました。

この二港の交易で当時高価だった砂糖を手に入れていた可能性が十分あります。

よって、裏付ける資料はないものの、けんさ焼きの謂れには信憑性があります。

 

おにぎりの今後の発見や研究によって、上杉謙信がおにぎりやけんさ焼きを食べたことがはっきりと分かるかもしれません。

また、おにぎりや三角ちまきを直接結び付ける資料が見つかるかもしれません。

おにぎりの今後の発見や研究に期待します。

 

 

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品

三角ちまきものしり事典 新潟県の名産品